映画・テレビ

2008年10月20日 (月)

『機動警察パトレイバー2 THE MOVIE』 押井守

Patlabor2  レイバーと呼ばれる搭乗可能な作業ロボットが実用化された架空の日本を舞台に、レイバー犯罪を取り締まるために設立された警視庁警備部特車二課の活躍を描いたアニメーションの劇場版第二作目です。今回は「モニターの中の戦争」が題材にされています。(1993年公開)

■ストーリー
 1999年、PKO活動の一環として東南アジアの紛争地帯に陸上自衛隊のレイバー部隊が派遣される。しかしそれは国際世論の圧力によって法整備が不十分ななか強行されたものだった。現地に派遣された部隊はゲリラの攻撃を受けるも交戦許可が下りず壊滅してしまう。部隊の隊長、柘植行人は生き残るも帰国後に行方をくらます。
 2003年、横浜ベイブリッジが爆破される。当初、大掛かりなテロとの見方が強かったが、SSNが衝撃的な動画を報道することによって事態は急変する。その動画には炎上するベイブリッジの上空に航空自衛隊の支援戦闘機F-16Jの影が映っていた。世間では自衛隊関与論が湧き上がる。防衛庁が関与を否定するなか、警視庁警備部特車二課の南雲忍警部と後藤喜一警部補のもとに一人の男が訪れる。陸上幕僚監部調査部別室の荒川茂樹と名乗る男は南雲達に一本の動画を見せる。その動画には報道されている動画のように炎上するベイブリッジ上空に戦闘機が写っていたが、それは米空軍の最新型のF-16だった。荒川は報道されている動画が改竄されたものであることをほのめかし、事件の裏側を語る。冷戦終結後、アジア各国が軍拡を進めるなかで一向に軍拡を進めない日本の危機意識を煽るために米軍、防衛庁、国防族議員などの一部勢力が一種のデモンストレーションを計画する。その計画では首都圏に国籍不明機が侵入しベイブリッジにミサイルをロックオンしていくというもので、日本の防空体制を見直すきっかけとなった1976年のミグ25事件を再現するかのものだった。しかし、あるグループがこの計画に便乗してミサイルを本当に発射させてしまう。荒川はそのグループの首班である人物の確保に協力を要請する。その人物は4年前にPKO活動中に壊滅した陸自レイバー部隊の隊長であり、過去に南雲と不倫関係があった柘植だった。硬直する南雲を横目に協力を渋る後藤だったが、そこに荒川に連絡がはいる。それは航空自衛隊三沢基地のF-16J三機が爆装して飛び立ち、首都圏を目指していることを告げた。

■モニターの中の戦争

単に戦争ではないというだけの消極的で空疎な平和は
いずれ実態としての戦争によって埋め合わされる
そう思ったことはないか?
その成果だけはしっかり受けとっていながら
モニターの向こうに戦争を押し込め
ここが戦線の単なる後方にすぎないことを忘れる
いや、忘れたふりをしつづける
そんな欺瞞をつづけていれば
いずれ大きな罰がくだされると

 前作と比べて大分作品の雰囲気が異なっています。一作目ではミステリーやアクションの要素が強かったですが、二作目はシミュレーションの要素が強く、娯楽性は減っていると思います。しかしそのシミュレーションの要素、東京が東南アジアの紛争地帯のような状況になっていく過程はよく考えられていて、観ていて緊張感を感じました。また、メッセージ性も二作目のほうが強いと思います。この映画が公開されたころは、湾岸戦争でアメリカを中心とした参戦国に「資金援助のみで人はださないのか」といった批判を受けてPKO協力法が可決されたころで、自衛隊の海外派遣の是非がテレビや新聞でよく討論されていました。こうかくと自衛隊海外派遣の是非とかを題材にした映画かと思うかもしれませんが、そういったものではないです。当時の多くの人達がテレビや新聞で報道されていた湾岸戦争や海外派遣の問題を自分とは関係ないと思っていたこと、戦争なんてよく知らないし平和が一番だ、戦争はどこか遠くの国で行われていることだと思っていたこと、そのことに問題提起するような内容です。映画の中で、事態が深刻化し、東京の治安維持のために自衛隊が出動してもまるで無関心な人達。街中を戦車が走り、街頭には自衛官が立ち、空には自衛隊機が飛び交うような状況のなか、何事もなかったように満員電車で出勤し、オフィスで仕事に打ち込む人々の描写は、実際に同じようなことが起こったとしてもそうなりそうだと思いました。多分、私もそうするんだろうな。
 公安でカミソリ後藤と呼ばれるも、切れすぎるゆえに本庁から埋立地の特車二課に飛ばされた後藤、キャリア警察官であり警視庁きっての才媛と呼ばれながら柘植との不祥事で特車二課に飛ばされた南雲、この二人が今回の主人公です。前作で主人公だった泉巡査と篠原巡査をはじめとした特車二課の隊員は脇役の扱いです。主要人物の年齢層が高いので、全体的に渋く落ち着いた雰囲気で、それがいいぐあいにストーリーに合わさってます。
 アニメーション映画ですが、邦画でここまでスケールが大きくて緊張感を感じた映画はいまのところ他に観たことがありません。大掛かりなセットを必要としないアニメーションだからこそできたんでしょうね。押井監督の作品で一番好きな映画です。

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2008年6月 8日 (日)

『時をかける少女』 細田守

Tokiwokakerusyoujo  ちょっとしたことからタイムリープ(時間跳躍)能力をえた少女の、明るく元気でちょっと切ない青春を描いたアニメーション映画です。筒井康隆氏の同名小説を原作にした大林宣彦監督の同名映画の約20年後を舞台にした続編です。(2006年公開)

■ストーリー
 東京の下町にある高校に通う高校二年生、紺野真琴は明るく元気で勉強がちょっと苦手な女子高生。真琴は男友達の少し不良っぽい美形の間宮千昭、文武両道で精悍な津田功介と楽しい高校生活を送っていた。ある日、真琴は踏切事故にあい、それを切欠にタイムリープ能力を持つ。真琴はタイムリープ能力で平日の朝に二度寝したり、試験で満点をとったり、カラオケをエンドレスで歌ったり、妹に食べられたプリンを先に食べたりと、己の私利私欲のために能力を使い続ける。
 日常を謳歌していた真琴だったが、ある日、功介が後輩の女の子に告白されたのを切欠に、千昭が真琴に告白する。いきなり告白されて混乱した真琴は、時間を戻してそれをなかったことにしてしまい、その時から真琴と千昭の関係が徐々に変化していく。

■青春は疾走
Tokiwokakerusyoujo2 
だれもが体験したであろう高校生活。それは休み時間の賑やかな教室であったり、実験器具が置かれ薬品の臭いがしてきそうな理科準備室やピアノの音が響く音楽室、静かな図書室、三年生があしげに通う進路指導室にバスケットボールが転がる体育館であったりします。この映画ではこれらが繊細に描かれ、そこには「高校生活」があります。瑞々しい青春を象徴するかのような夏の青い空の下で繰り広げられる真琴たちの青春模様は、これら繊細な背景と、明るくて少し切ない音楽とともに描かれます。

Time waits for no one

 時間は待ってはくれないから、二度とこない今を大切にしないといけない。真琴はとにかく走ります。前半は妹に食べられたプリンを取り返すために、カラオケをエンドレスで歌い続けるために、鉄板焼きを食べるために、ついてないことを回避するために、後半は浩介と後輩の女の子の仲を取り持つために、千昭のために。大切な物のために一所懸命に走り続けるその姿はまさしく青春は疾走です。

 話の主軸になっているのは、真琴と千昭の関係とタイムリープです。後者についていくつかの疑問を感じたんですが、前者がよくできているので映画を観ている間は全然気にはなりませんでした。突っ込むのは野暮な話なんでしょう。物語終盤で、夕焼け空の下の河川敷に並んで座る真琴と千昭。それを見た小学生達に「あ、カップルだ。熱いね、ヒューヒュー」とからかわれ、うろたえる二人。良いですね、こういうの。
 素直に笑えて最後に少し切なくさせられる、本当にいい映画です。

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2008年5月25日 (日)

『人狼 JIN-ROH』 沖浦啓之

Jinroh1_3 架空の昭和37年の日本を舞台にしたアニメーション映画で、公安組織同士の諜報戦のなかでの、組織に属することでしか生きていくことのできない男女の悲恋を童話『赤ずきん』にたとえて描いた寓話です。(2000年公開)

・ストーリー
 第二次世界大戦で日本はイギリスの同盟国として、ドイツ、イタリアとの戦争に参戦するが、日本は敗戦し本土はドイツに占領される。それから十数年後、驚異的な経済成長をとげた日本だが、都市部ではセクトと呼ばれる反体制過激派組織が活動し、それは自治体警察の能力では対応できない深刻な社会問題となる。この問題に対応するために政府は首都圏のみに活動範囲を限定した高い戦闘能力を持つ「首都圏治安警察機構」、通称「首都警」を組織する。首都警の打撃力をになう「特機隊」はセクト掃討に力を発揮するが、セクトの活動が弱まってくると、その強すぎる戦闘能力に自治体警察や世論からの批判が集中し、首都警はその存在意義を問われることになる。
 特機隊の隊員、伏一貴は、任務中にセクトの「赤ずきん」と呼ばれる、爆弾を運ぶ少女を目の前で自爆させてしまう。任務中に適切な行動をとれなかった伏は査問会で養成学校での再訓練を命じられる。伏は再訓練のあいまに、首都警公安部に所属する友人、辺見敦に、自爆した少女について調べてもらい、少女の遺骨が納められている共同墓地を訪れる。伏はそこで少女の姉と名乗る阿川圭に出会い、二人は関係を深めていくが、それは首都警存続のために特機隊解体と引き換えに自治体警察警備部と手を組んだ首都警公安部と、特機隊の隊員を中心に組織された非公式対諜報組織「人狼」との警察の内紛に巻き込まれていくことにつながっていく。

・童話『赤ずきん』を元にした残酷な寓話
Jinroh2_2 『赤ずきん』といえば、グリム童話の、最後に狼が猟師に退治され赤ずきんとおばあちゃんが助けられるお話を思い浮かべますが、この映画の元になっているのはスウェーデンの民話『黒い森の乙女』とペロー童話の『赤ずきん』です。

そして狼は赤ずきんを食べた

 グリム童話『赤ずきん』の元となっているこれらの話では猟師は登場せず、赤ずきんは狼に食べられて話は終わります。
 主人公の伏は人と犬と書くように、群れをなす狼のように組織に属することでのみ、やすらぎを得ることができる人間で、それ以外の生き方を知りません。しかし彼は阿川圭と名乗る女性と出会い、彼女との関係を深めていくうちに組織以外のものにやすらぎを得ることをみいだします。常に赤色系統の服を着て赤ずきんを思わせる圭、ある組織の意図によって伏に接触してきた彼女も、同じように、伏との関係が深まるにつれ、彼女が元々持っていた孤独を忘れさせてくれる伏にやすらぎをみいだしていきます。
 二人は自分達が組織から離れて生きることはできないことを自覚しながらも、相手に組織以外のものに安息を得る可能性を見ます。しかし、二人が属する組織の冷徹な行動論理はそれを許しません。絶対に手がとどかないとわかっていながらも、胸のどこかで「もしかしたら」と望み続ける二人の関係は、童話『赤ずきん』のように、狼にたとえられる伏の手によって決着がつけられます。

最高峰の映像と音楽
 映像と音楽は日本の職人芸とも言えるほどのもので、数あるアニメーション映画の中でも最高の部類です。戦後にドイツ統治下に置かれたという設定のせいか、どこか欧州の雰囲気を漂わせつつも、不思議と懐かしさを感じさせる架空の昭和37年の東京を舞台に、男女の悲恋が少し距離を置いた視点から静かで美しい音楽とともに描かれています。登場人物たちのちょっとした仕草や動作、表情の変化は実に自然に描かれていて、まるで熟練した役者の演技を観ているようです。

 悲しい話なのに、なぜか年に何回か観たくなる映画です。美しい映像と音楽に惹かれるのもありますが、それに加えて、あまり感情を表に出さない登場人物達の行動やちょっとした仕草からにじみ出る葛藤と、無理と知り、なかばあきらめながらも胸のどこかで望み続けて最後にはそれを自分で断ち切る、この矛盾した行動に人間臭さを感じるからかもしれません。

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2008年4月14日 (月)

『プラトーン』 オリヴァー・ストーン

Platoon  ベトナム戦争下の、米軍のある一つの小隊での兵士達の確執や苦悩に焦点を当てた映画です。アメリカ陸軍に従軍し、ベトナム戦争を経験したオリヴァー・ストーン監督の実体験を元に映画は作られています。オリヴァー・ストーン監督の分身といえる主人公のクリス・テイラーの視点で、随所で流れるサミュエル・バーバー作曲の『弦楽ためのアダージョ』と共に、監督が体験したベトナムの戦場が語られます。
 1964年、ソ連と中国の援助を受ける共産主義国家、ベトナム民主共和国(北ベトナム)の脅威に晒されていたベトナム共和国(南ベトナム)に対して、反共産主義を掲げ自由主義陣営の盟主であるアメリカは東南アジアが共産化することを防ぐために軍事的援助を開始します。北ベトナム軍を質や物量で上回り、戦争を優位に進めるアメリカ軍に対し、北ベトナム軍はテト攻勢の失敗以降、正規軍同士の戦いからゲリラ戦に転換します。非戦闘員に紛れて行われるゲリラ戦は、必然的に非戦闘員を巻き添えにすることになり、米軍もどこから襲ってくるかわからないゲリラに対して効果的な対処ができず、戦争は勝ち負けのわからない泥沼に陥っていきます。

■ストーリー
 1967年、アメリカの名門大学に通うクリス・テイラーは、ベトナムに派遣される兵士の多くが有色人種や貧困層等の若者ばかりであることに義憤をもち、大学を中退して軍に志願する。しかしベトナムに派遣されたクリスを待ち受けていたのは、昼夜かまわず繰り返されるゲリラの襲撃、熱帯雨林の強烈な気温と湿気、体を這いずり回るアリやまといつく蚊、いたるところに設置され引っかかれば重症を負い死に至ることもありうるブービートラップ、駐屯地の空き地に並ぶ死体袋、過酷な環境下で精神に極度のストレスを強いられた味方同士の争いだった。これらの過酷な現実を前にしてクリスの正義感はもろくも崩れ去る。
 そのようななか、クリスの所属している小隊の二人の上官、どんなときでも冷静で非情ともとれるバーンズ二等軍曹と人間的な道徳と正義感を持つエリアス三等軍曹、この全く異なる性質を持つ二人の確執が日々大きくなっていく。

■バーンズとエリアスの確執
 初めてこの映画を見た人はエリアスを善、バーンズを悪としてみるかもしれません。私も初めて観たときはそうでした。しかし何回か観てみるうちに考えが変わりました。
 理想的なヒーローのように描写されるエリアスですが、彼はアメリカ本国での安全が保障された環境下でこそ持つことのできる人道や道徳といった正常な感覚を、麻薬を常用して現実逃避することによりなんとか保とうとします。村の捜索後のクリスとエリアスの会話で、彼がベトナムに来てから自信を持つことができなくなったことを自ら語ります。それに対して、バーンズはエリアスの持つ正義感や道徳といったものを捨て去り、非情になることによって過酷なベトナムの現実を正面から受け止め、任務を遂行し、部下を、自身を生き延びさせようとします。彼の行動や言動を見てみると、常に隊をまとめ部下の安全を確保することに気を配っていることが伺えます。

What do you all know about death?

 麻薬で現実逃避している兵士達を毛嫌いしていたパーンズが、酒に酔ってこの台詞を言ったときの目がいいようのない様々な感情を含んでいるように見えたのが印象に残っています。敵味方、多くの死を目をそらすことなく正面から受け止めてきたバーンズは常に死について考えていたのではないでしょうか。バーンズがもっと精神的に弱い人間だったならエリアスのようになっていたのでしょう。しかし彼は強く真摯だった。それゆえに現実から目を逸らすことができなかった。この映画の中で最も戦争と正面から向き合い、苦しんでいたのはバーンズです。
 映画終盤で確執の末にエリアスを死に追いやったことを知ったクリスに銃を向けられたバーンズは「Do it」と言います。過酷な現実を正面から受け止め、部下を、自身を生きのびさせるためとはいえ非情な行いを繰り返していくうちに、自身が生き続けることに意義を見出せなくなっていたのかもしれません。
 バーンズとエリアス、どちらが正しいのかと言われれば、どちらも正しいでしょう。両者の行動はそれぞれが戦争と向き合い、悩み考えて得た答えです。

今から思うと――
僕たちは自分自身と戦ったんだ
敵は自分の中にいた
僕の戦争は終わった
だけど思い出は一生残るだろう
エリアスとバーンズの反目はいつまでも続くだろう
時として僕は 彼らの間の子のような気さえする
ともかく――
生き残った僕らには義務がある
戦場で見たことを伝え
残された一生 努力して――
人生を有意義なものにすることだ

 オリヴァー・ストーン監督は自身がベトナム戦争で経験したことを、この映画を製作することによって伝えようとしています。
 低予算で作られた昔の映画です。しかし、戦場での人間を綺麗ごとなしに描いた映画史に残る傑作です。観たことがない人は、是非観てください。

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2008年4月 5日 (土)

『秒速5センチメートル』 新海誠

5cmparsecond  互いに惹かれあっていた少年と少女が親の都合による引越しで離れ離れになり、時間が流れるなかで変化していく二人の関係を、アニメならではの美しい映像で描いた、連作短編アニメーション映画です。
 この映画は15分から30分程度の短編による三話構成になっており、三話を通して遠野貴樹と篠原明里の関係を主軸にして1990年代後半から2000年代後半の関東地方と種子島を舞台に話が進みます。

  • 第一話 桜花抄
     舞台は関東地方。小学校に通う遠野貴樹が所属するクラスに篠原明里が転向してきます。二人とも体が弱く、グランドよりも図書館をよく利用していたことから、自然と仲良くなり、やがて互いに惹かれあうようになります。しかし中学に進学する前に明里は栃木に引っ越します。
     その後も文通を続けていた二人ですが、貴樹が鹿児島に引っ越すことになり、貴樹は引っ越す前に明里に会いにいきます。 
  • 第二話 コスモナウト
     「コスモナウト(ロシア語:космонавт)」とは宇宙飛行士のことです。
     舞台はNASDAのロケット打上準備が進む種子島。地元の高校に通う澄田花苗の視点で話が進みます。花苗は同じ高校に通う中学生の時に転校してきた遠野貴樹に一目惚れしており、進路を決める時期を向かえて貴樹が東京の大学へ進学を希望していることを知った花苗は自分の思いを伝えることを決めます。 
  • 第三話 秒速5センチメートル
     舞台は東京。社会人となった遠野貴樹と篠原明里、二人の人生が交錯します。僅か15分の長さで台詞は少なく、桜花抄の後の貴樹と明里の関係が画面に流れていきます。

   秒速5センチなんだって
   桜の花のおちるスピード

 二人が引越しで離れ離れになり物理的な距離が遠くなった後も、互いに胸のどこかで相手のことを思い続けます。一話目の桜花抄で貴樹と明里が文通をしている場面で山崎まさよしの『One more time, One more chance』の旋律が流れますが、この曲を知っている人は二人の思いがどうなるのか、だいたい予想できると思います。
 他の何者にもとらわれずに宇宙を目指し続ける宇宙飛行士に例えられるように、胸のどこかで明里の影を追い続け他の何者にもとらわれずにひたすら高みを目指し続ける貴樹、それに対して貴樹への確かな思いを元に前へと進むことを選んだ明里。子供のころに共に通った道、そのときと同じように桜の花びらが舞い散るなか、大人になって互いに異なる人生を歩む二人がすれ違い、お互い相手に気付くも……。
 お互いに相手の事を心から思っていたことは同じでも、その思いに対する決着の付け方は異なっています。どんなに大切な思いも、それだけにとらわれていては前に進むことはできません。相手のことが本当に好きだからこそ、強くならなければならない。映画の題名である『秒速5センチメートル』は、二人の関係を他の何よりも美しく咲き、そして5 cm/sでゆっくり散り落ちていく桜の花に例えて表しているのかもしれません。

 約65分の短い映画ですが、美しい背景とどこか切ない音楽と登場人物の繊細な描写が相俟って話に引き込まれます。ごくありふれた日常を舞台に、なんとも美しくて現実的で、ただただ胸を苦しくさせられる、そんな映画です。

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